今日、高校生になる夏休み中の息子を誘って朝早くから近くの海まで二人でダイビングに出かけた・・・。
ちょうど1年前の夏休みに本格的にダイビングを教えてから丸1年も空いてしまっていたので、最初は少し手間取るかなー、もう一度おさらいをしながら・・・なんて想像しながら車を走らせた。
でも正直言うと本当はダイビングなんて口実の誘い文句で、今日のこの日8月6日という日に息子と少し語ってみたいと思ったから・・・。
75年前のこの日の朝、一瞬の眩しい閃光とともに、熱いと思う間もなく人間が溶けていったそうだ・・・。
日本と日本人は最終的に「核爆弾の威力と生体実験」に使われて生きたまま熱で溶かされたわけで、「戦争を終わらせるために」なんていうアメリカ人の欺瞞に満ちた戯言が通用するわけもない・・・。
何故ならば、8月6日の広島には「ウラン型」の原子力爆弾を使用し、壮絶な破壊殺戮を確認し効果を報告しておきながら、3日後の長崎には原子力タイプの違う「ウラン型」の原子力爆弾にわざわざ変えて投下している。
なぜ「ウラン型」と「プルトニウム型」の2種類を用意する必要があったのか?
初めから「核実験を兼ねて」用意していた計画の表れとしか考えられません・・・。
しかし・・・。
私はずっと不思議でならなかった・・・。
敗戦したからとはいえ、地球史上初めて・・・人類史上初めての核兵器、核爆弾をを2発もこの日本という小さな島国に落とされて、赤ん坊、女、子供、お年寄り・・・、無差別に一網打尽に人間を溶かすなんて言う残酷な生体実験の目にあわされても、戦後憎しみという感情を爆発させないで今日まで来た日本人のことを・・・。
というか、押し殺してきたのかもしれない・・・。
私は東京生まれだから、子供のころからB-29から降り注がれた無数の焼夷爆弾の無差別攻撃での悲劇をより身近に聞いてきた・・・。
想像もつかないだろうが、東京は家も建物も人も植物も全て丸焦げになるまで焼き尽くされた・・・。
あの日本一の花火大会で有名な隅田川の川原は、焼かれた人々が少しでも水を求めて逃げてきて力尽き炭のように真っ黒に焦げて塊になった無数の死体の大山ができていたそうだ・・・。
しかしやはり東京でも殆どアメリカに対する本気の恨みつらみを聞くことはなかったと思う・・・。
なぜなんだろうか・・・。
そんな事を今日息子と話し合ってみたかったからである・・・。
「あの時代、お前と同じ年の子供たちがたった一人で飛行機を操縦して九州からここ沖縄まで空を飛んできて、この海に向かって船に体当たりしていたんだぞ、想像できるか・・・?
黙ってうつむいていました・・・。
戦争体験のない戦後生まれの我々が簡単に答えを出せるはずもない・・・。
しかし、だからと言って「無関係」のように立ち振る舞うのは違うと思うし、難しいテーマだからと言って親と子がこの話題をトラウマのように避けるというのも違うと思っていた・・・。
前にちゃんと進むためには、過去から学べることが実にたくさんある事に日頃から気付いていた・・・。
戦争、原爆投下、コロナウィルス、世界情勢、ソーシャルディスタンス、テレワーク、新しい生活様式・・・。
そして息子たちが歩んで迎えていく進路と未来・・・。
過去から学べることがきっとあるはずだと思い、普段あまり積極的に会話を持たない息子と今日8月6日のこの日に二人で少しだけ語ってヒントを探してみたそんな日でした・・・。
8時15分を迎えたとき、我々はもう沖縄のきれいな海の中で無数のトロピカルでカラフルな魚たちに囲まれてダイビングを楽しんでいました・・・。
心から感謝しています・・・。
旭潜研㈱
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