旭潜水技研

生の声・・・34名の「遺言」・・・

8月、夏休み、沖縄、海、スキューバダイビング、マリンレジャー・・・と来れば、夏の楽しい"観光" 沖縄!・・・と言うイメージが真っ先に思い浮かぶでしょう・・・。

しかし私はこの地に根付いてからずっーとそんな晴れ晴れしい夏の海、沖縄!・・・という感情感覚には100%なれないまま現在に至ってしまっています・・・。

生の声・・・34名の「遺言」・・・

とくにこの夏というシーズンは・・・。

というのも、沖縄でダイビング事業を始めてから割とすぐに海中で「戦争の爪痕」を見付けてしまうようになってからだと思います・・・。

銃弾、砲弾、マシンガン、火炎放射器、沈没した軍艦、戦闘機、特攻機の残骸・・・などなど・・・。

透き通った透明度と真っ白な海底の砂、トロピカルなサンゴ礁、カラフルに魚達の間にミスマッチにもほどがある一種異様な雰囲気を醸しだしている・・・、それらが、未だ海底にひっそりと転がったまま・・・放置れたまま沈んでいるそれらが目に入るようになってから私のダイビング主観が変わっていったのだろうと思います・・・。

物事自体や疑問に思った事をどうしても追求、物事の本質を探し求めたくなる性格の私としてはその違和感をどうしても払拭させたく日本や沖縄の歴史と社会性にまでダイビングをきっかけに目を向けていくようにならざるを得なかったのでしょう・・・。


話が長くなるので途中は割愛しますが、そんなこんなの延長とお付き合いの中で、かつて日本、沖縄防衛を目指してこの地にこの海に特攻という形で飛び立った若き特攻兵士達34名の「辞世の句」が手元にあります・・・。

「辞世」と言う意味をお分かりだろうか・・・?

辞世とは「この世に別れを告げる事」を指す意味だそうで・・・、「句」、すなわち "辞世の句" とは「この世に別れを告げる最後の言葉」・・・という意味として使われるそうである・・・。

生の声・・・34名の「遺言」・・・

大東亜戦争の特攻作戦で亡くなったとされる特攻兵士の数がおおよそ6400名とされている・・・、その中でのわずか34名かも知れないが、間違いなく九州からこの沖縄に向かって空を飛び体当たりで突っ込んで散華された34名の特攻兵士達が飛び立つその直前にこの世に書き残した言葉が今この私の手元にあるこの辞世の句なんです・・・。

しかしこれは本物をそのまま忠実に精巧に再現した複製品なんですが、オリジナルの本物は2022年に那覇の護国神社に奉納されました。

このオリジナルをお持ちだった方のご実家が当時飛行訓練を行っていた訓練基地の前で料亭旅館を営んでいたそうで、戦争末期その料亭旅館が、いよいよ特攻に飛び立つ前に特攻兵士達にわずかに与えられた最後の時間の数日間、その料亭旅館で寝泊まりしてお別れのどんちゃん騒ぎを許された唯一の場所として与えられていたそうです。

当時まだ5才の女の子だったその方は、連日飛び立つ前の特攻兵士のお兄さん方に本当によく遊んでもらい本当に可愛がってもらったそうです・・・。

飛び立つ前に実家にお別れを告げに帰った方も多くいらっしゃったそうですが、死を前にして今生の未練を断ち切る為にも敢えて帰らず料亭旅館で過ごし、翌日早朝そのまま飛び立っていった方も多くいらっしゃったとの事・・・。

生の声・・・34名の「遺言」・・・

ただ、料亭旅館で5才だったその女の子に、もしかして我が子の面影を重ね一生懸命愛し、可愛がってくれたひと時だったのかも知れません・・・。

現在ではとうに80歳を過ぎた彼女にはその当時の優しかった、沢山可愛がってもらった特攻兵士のお兄さん方と過ごした日々と思い出か今でも大きく忘れられずにいるのです。

昨日の晩あれだけ一生懸命遊んで可愛がってくれたお兄さんたちは、次の日の早朝旅館を出て行ってそして二度と帰ってくる事は無かった・・・、そしてまた翌日新しいお兄さんたちがやって来る・・・そんな毎日だったそうです・・・。

戦争や状況を知る由もないまだ幼心でも、何かとてつもなく恐ろしい事悲しい出来事が起こっているんだと感じていたという・・・。

前の晩にどんなにどんちゃん騒ぎをして遅くなっても、翌早朝には、旅館の玄関先でお父さんである店主にお兄さんたちは深々頭を下げお礼を述べ、そして " 行って参ります "・・・と。

その時店主であるお父さんが、「待ちなさい!せめて言葉だけでも残していきなさい・・・」と、その時短冊に言葉を残させてから旅立たせていたのが、今この私の手元にある34名のお兄さん方の「辞世の句」であります。

戦争も終わり、その後店主であるお父さんは亡くなられ、お母さんも亡くなられてから実家の遺品整理などをしていた時、この辞世の句が見付かったそうです・・・。

それからというもの、自分の使命だと心に決め、これらを書かれた特攻兵士達のご遺族を一人一人探し出し、お返し、伝えようと、全国を探しまわり全てではないそうですが大方探し出され連絡を取り合ってきたそうです。

そして沖縄に向かって飛び立っていかれお兄さんたち、特攻兵士達だから、最後に書き残した本物の辞世の句は沖縄の地に、という事で那覇にある沖縄県の護国神社に奉納されたのです。

たまたま私はその時、元々付き合いのある護国神社の神主より連絡を頂き、その方をご紹介したいからと神社で引き合わせてもらい、正式な奉納式にも参列させて頂いたのがお付き合いのきっかけとなりました・・・。

そしてこの辞世の句をこのまま封印するのではなく、少しでも世の中の方達に知ってもらいたいと自費で精巧な複製品を何セットか作られ、その内の1セットを私にも持っていてもらいたいと引き受ける事になったのです・・・。

しかしそれからが私の大きな悩みと問題としてずっとのしかかっているのです・・・。

これをどこにどのように使うべきなのか?

どう展示、または開示することが大義を全うした真の有効方法なのか?

使い方、出し方を間違えると逆効果になる、意図に反する事になる・・・。

そんな思いで中々方法が思いつかずずっと手元に置いたまま悩んでいるのです・・・。

先日テレビの報道でも、その戦争遺品や展示物の保存や存続が危ぶまれていると報道・・・。

保存保管するのにもお金がかかる。

誰が? どこが? お金を出して管理するのか?

どんどん閉館閉鎖されて、意識のある方達も亡くなっていき、将来に繋いでいけない・・・。

そんな世の中の風潮の中で、今からこの辞世の句をどこにどのように扱っていったらいいのか?

辞世の句と表現していますが、いわゆるその方達一人一人34名の方達の・・・激動の大東亜戦争を戦い抜いた当事者たちの "生の声" 「遺言」なんですから・・・。

どなたか知恵を貸してください・・・。

もし79年前の本物の特攻兵士が残した最後の生の声を見てみたいという方がいらっしゃれば是非ご来店ください! いつでも歓迎いたします!

そんな事しかまだ出来ていない己に毎年夏が来る自責の念に駆られます・・・。



旭潜水技研
http://asahi-scuba.jp


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